営業コミュニケーションアドバイザー兼電子書籍作家・プロデューサーの佐崎秀樹です。
プライドって高い方がいいんでしょうか?
高すぎるとかえって成長を阻害したりもしますよね。
程よいプライドの高さって何だろう?
営業の仕事を始めて、何年も考えていました。
プライドがないのも何か間違っているような気がするし…。
僕なりのプライドに対する考え方を書いてみようと思います。
結論からいうとプライドは「道具」と捉えることが良いと考えています。
プライドを持てる部分に対し、人はがんばれる。
でも、それが視野狭窄を招いたり、無駄な固執を招いたりする。
そのバランスを自分で客観的に撮り続けることって難しいと思うんです。
たぶん、たいていの人には不可能と言ってもいいんじゃないかな。
僕がプライドを「道具」としてうまく使えるようになったのは「何に対してプライドを持つか」を考えるようになった後です。
自分のやり方、考え方などにプライドを持ってる方って多いと思います。
僕もかつてはそうでした。
自分が一生懸命考えたり、試したりして築いてきた愛着のある方法や考え方。
ついつい執着しちゃいます。
それでうまくいくことだって、そこそこ以上ある。
でも、よく考えてみてください。
僕らが欲しいのは結果ですよね?
そこそこうまくいく方法にこだわって、もっとうまくいく方法を見送っていたら「成長」や「結果」が思うように得られるでしょうか?
たぶん、自分ごときが考えた方法より、もっと優れた方法が世の中にはたくさんある。
いつの間にか、それを頭から否定するような状態になっていたとしたら…。
そう考えると背筋に冷たいものが走りました。
今までのやり方よりいいものがあるなら、それを変えてくことは敗北なんでしょうか?
たとえ敗北であったとしても、「成長」や「結果」をえられにくい生き方を自分は望んでいるんでしょうか?
そこに気がついたとき、僕は「結果が得られるなら方法なんてなんだっていい」というプライドを持つことにしたんです。
それから、僕の営業スタイルは成長しました。
人の良いところを取りれ、他人が良いというものは多少疑問があっても試してみる。
自分のやり方に他の人の好い要素を取り入れ改良していく。
といった柔軟性が生まれました。
他人に教えを乞うことが恥ずかしくなくなりました。
視野も広がりました。知恵や経験も増えました。
それまではプライドの使いどころを間違っていたんですね。
そういういみで、プライドって「道具」なんだなぁと今は思うようになりました。
もっといい使い方があったらぜひ、教えてくださいね。
どんどん取り入れていきたい、と本気て思っています ( `―´)ノ